逃れられない運命に苦悩すること ~ウインドトーカーズ~

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「映画で教育を語る」の第7弾です。

2002年製作の「ウインドトーカーズ」は、サイパン攻防戦を舞台に、「任務」と「友情」の狭間に苦悩するアメリカ海兵隊員を描いた戦争映画です。

興行的には大失敗をし、米軍(善玉)VS日本軍(悪玉)という単細胞的な構図に、日本人として観ていて不愉快になる場面もありました。

しかし民族の違いを越えて、現代の私たちが失った「人間的であること」がよく描かれている映画です。

平和な現代の私たちが「人間的」ではなくなり、戦争映画の主人公が人間的だというのは、文明の逆説でしょうか。


太平洋戦争末期、アメリカ海軍は先住民ナバホ族の言語を基に軍の「暗号」を作成します。

主人公のエンダーズ伍長の任務は、ナバホ族である通信兵を護衛すること。
そして、もしその通信兵が敵側の捕虜になりそうな時は、暗号の漏洩を防ぐため、彼を殺すことー。

海軍にとって大切なのは、ナバホ族の命などよりも、戦争に勝つために暗号を守ることでした。

海兵隊員であるエンダーズ伍長にとって、命令は絶対服従すべき「神」のようなものです。

役目を果たそうとすれば友を裏切り、友を殺さず暗号が敵側に漏れれば、大勢の仲間の命が危険に晒される。

任務を全うしなければならない。
友を裏切ることなどできない。

この「逃れられない運命」と、エンダーズは真正面から向き合い、懊悩し続けます。

しかし、その「逃れられない運命」と向き合っているのは、現代を生きる私たちもそうなのでしょう。

それがこの映画のテーマなのだと思います。


「子供を甘やかしてしまう」
親ならば当然だと思います。

「親の役目を果たさないといけない」
こう考えるのも親ならば当然です。

人間の親の役目は、子供に「衣食住」を与えることだけではありません。

子供を「甘やかそうとする心」と子供の「甘えを取り除こうとする心」
「優しさ」と「厳しさ」
「許し」と「叱り」

その狭間で葛藤するのが、「人間的な親(先生)」なのではないでしょうか。


子供のために「苦悩する」のが人間的な親です。
子供のために苦悩したことがないなら、その親は人間的ではありません。

現代の私たちは、何でも許す優しさを人間的だと思っています。
許さずに叱る人間、きちんと謝らせる人間は「非人間的」だと。

そういえば、「すみません」という言葉は、ほとんど教育現場から失われました。

躾と称した虐待を行う親は、非人間的です。
それと同様に、「愛」という名で甘やかし放題の親も、やはり「非人間的」なのではないでしょうか。

子供のやりたいようにさせるだけなら、苦悩などありません。
苦悩のない人間は「愛」がないのです。

今まで教育を支えてきたのは、「逃れられない運命」に苦悩する「人間的な」親や先生たちでした。

その苦悩や葛藤を回避しようとすることで、愛も失われ、教育は崩壊寸前です。

新しい時代の教育を担うのは、子供を甘やかさず、「苦悩」し続けられる親や先生たちなのです。