唐津東高を中退した落ちこぼれが、1年で慶應大学に合格した体験記

みなさん、こんにちは \(^o^)/

唐津の「勉強嫌い」「勉強が苦手」な生徒のための「個別指導」「少人数指導」 Oishi塾の大石です。
中学生の頃、Oishi塾に通ってくれていた生徒が、唐津東高を中退して、独学で慶應大学に合格するまでの体験記を書いてくれました。
ちなみに、彼の慶應大学合格とOishi塾とは、何の関係もありません (^^)/

長い文章ですが、彼の魂が込められています。
これを読んだ唐津東中不登校の生徒は、涙が止まりませんでした。

では、どうぞ (^^)


初めまして。自己紹介をします。
僕はK・Iといって、唐津市内に住む19歳です。
この春、慶應義塾大学商学部に合格して、進学を予定しています。
僕も皆さんと同じでまだまだ夢の途中ですが、このたび、皆さんの役に立つといいなという思いで、自分がこれまでに歩んできた道を皆さんにお伝えします。

僕は小学生の頃、よくお勉強ができました。
しかし、知ったかぶりしがちでもあり、いつも偉そうな顔をしていて、熱中しているパソコン関係のこと以外にほとんど興味がありませんでした。
付き合う友達が全くいなかったというわけではないですが、小学校を卒業する頃には、かなり浮いた存在になっていました。
僕もその状況に気付いていたので、何となく受検して受かった唐津東中学校に入れることを、ひそかに喜びました。


2008年4月、僕は唐津東中学校に入学したのですが、間もなく荒んだ暮らしが始まりました。昼間から登校したり、週に1、2度しか登校しなかったり、というような暮らしです。
僕は夜中じゅうパソコンをいじっていたのですが、今にして思えば、それが本当にやりたかったというのではありません。
僕の家にはゲームも本も漫画もほとんど無く、ただパソコンしかすることがなかったのです。

出口のない迷路に迷い込んだような感覚でした。
たまに学校に行っても話し相手はほとんどいません。
あいつには関わらないほうがよい、という扱いです。
授業を受けず、勉強もしないので、試験を受けてもいい成績を取れるわけがありません。
国語や社会などはともかく、数学や理科のような教科はいつも0点でした。

そんな僕が大石塾に入塾したのは中学2年の夏でした。中2の時のことはあまり記憶になく、数ヶ月でやめてしまいましたが、中3になってもう一度入塾したとき、大石先生に、とある本を渡されました。
落合信彦という人の書いた「狼たちへの伝言」という本です。
気取った語り口が気に食わないなあ、と思いながら読み進めていったのですが、すぐにその本に夢中になりました。

落合さんは1942年(日本軍が太平洋を舞台に大暴れしていた頃です)の東京下町に生まれ、戦争に負けた焼け跡の東京で育ち、家が貧乏だったので仕事をしながら夜間の高校に通い、英語を猛勉強し、いきなりアメリカ大使館に行き直談判して試験を受け、奨学金を得てアメリカの大学に行ったという人です。
こんな人生、こんないい話もあるのかと、僕はとても驚きました。頭を揺さぶられるような大きな衝撃でした。

たちまちやる気になった僕は、がむしゃらに勉強して、苦手な数学や理科も克服して、いわゆるセミナーテストでは208点と、平均的な東高受験生が取るような点数が取れるくらいになりました。
このとき、生意気にも東京大学に行こうなどと考えていた僕は、意気揚々と(?)唐津東高校に進学したのです。この時は、2011年の春で、ちょうど震災があった頃です。


しかし、ここで大きな壁にぶち当たりました。
欲張った僕は、勉強をがんばろう、部活もがんばろう、生徒会活動もがんばろう、と、いろんなものを抱えすぎてしまいました。
毎日が慣れないことの連続で、劣等感に悩まされました。
勉強は忙しく、つまらないものでした。

部活は陸上部で中・長距離だったのですが、もともと長距離なんて全然走れません。
タテ社会での常識も全く知らないので溶け込めません。
陸上は個人競技ですから、先輩がいじめてくるようなことはありませんでしたが、僕の扱いに困っているのは明らかでした。
あまりのみじめさに、消えたほうがましだと思いました。
また、同じ校舎内とはいえ、中学と高校では明らかに雰囲気が違い、高校に入るとみんなが自分のことのために必死になるようになっていました。そういう殺伐とした空気にも馴染めませんでした。

僕はまた勉強しなくなりました。
学校にもあまり行かなくなりました。
何とか2年生に進級はしたものの、6月の高校総体県予選が終わった頃には、ほとんど完全に中学時代のような生活になっていました。
12月には出席日数が足りなくなってしまい、高校中退を決めました。
このとき、周りの人たちがどう思ったかはともかく、僕自身はかなり前途に希望を持っていました。落ちるなら落ちるところまで落ちたほうがよいと、何となく感じていたからです。


翌2013年の1月から、コンビニでアルバイトを始めました。
なぜアルバイトを始めたかというと、もちろん社会勉強という面もありますが、それは二の次でした。
第一にお金が欲しかったのです。
もともと、家に本が無いのはいけないと思っていたので、それから大量に本を買って読むようになりました。

そうしてしばらくぼんやりと過ごし、夏に高卒認定試験(高校を卒業しなくても大学や専門学校に入る資格を得られる試験です)を受けて合格し、慶應受験を決めたのはその年の秋のことでした。
国立大学は試験科目が多いので、だらしない性格の自分には無理だと判断したのです。
勉強期間はそこから1年数ヶ月ほどです。
試験科目は英語・世界史・小論文。

学校に行くのがとにかく嫌だったので、予備校には通わないことにしました。僕の勉強法は、書くことよりも何よりも、とにかく「大量に読む」ことでした。
それも、興味を持ったところから読み始めるのです。

世界史は、フランス革命ってなんだろう?と思っていたので、フランス革命から始め、そこから手を広げつつ、関係する文庫や新書などを大量に読みあさりました。
大量に、繰り返し読むことによって、最初はちんぷんかんぷんだった教科書上の出来事も、徐々に感覚になって染みこんでいきました。

英語も似たようなものです。
多少、過去問や単語帳みたいなものも使いましたが、結局のところ、ウィキペディアの英語版の好きな項目を読んだりする時間のほうが長かったように思います。

小論文はほとんど勉強しなかったと言っても言い過ぎではないでしょう。
小論文の書き方を解説した薄い本を少し読んで「作文と論文は違う」ことを知ったり、過去問の模範解答を自分なりに分析したりしてみた程度です。

アルバイトは2014年の9月でやめて、それからは一日中家に籠っていました。
起きる時間も寝る時間も勉強する時間も決めず、ひたすら本能の赴くままにダラダラと、歴史の本を読んだり、YouTubeで好きな動画を見たり、イギリスのニュースサイトを見たりしていました。

最後の1ヶ月などは、受験と関係ないことをする時間のほうが多かったくらいです。
できれば受かってほしいけれども、2浪くらいなら普通にいるし、春からは予備校に行こう、などと親不孝なことを考えていました。
そんな状況で、法学部・経済学部・商学部・文学部を受験したのですが、運良く商学部に合格しました。ちなみに、法学部と文学部は補欠でした。


高校に入学した時の僕は、全く自分のペースを考慮しておらず、常に周りの動きに振り回されていました。
中学で既に落ちこぼれを経験していたのにもかかわらず、です。
学校を辞めなければいけなくなったとき、ようやく、本格的に落ちこぼれる覚悟ができました。どうしても予備校で集団で学習するというスタイルが嫌だった僕は、予備校に行かずに独学で大学に行くという道を選ぶにあたって、科目の少ない私立大学を選び、好きな本を読みながら、のんびりと自分のペースで学習するという戦略を立てました。

そうしてしばらく勉強していると、徐々に予備校に行ってもいいなと思うようになりましたし、大学に合格した今、春からは、唐津出身の大学生が集まる寮・久敬社塾に入ることになっていて、実は自分が一番楽しみにしているのがこの寮生活なのです。

学校から逃げ、好きなことをして過ごしているうちに、どうやら自分らしさみたいなものが確立されてきたようです。
だから、皆さんにも、あまり焦らず、自分のペースで生きることを勧めたいと思います。
学校の成績が悪くても、学校に行けなくなっても、あまり気にせず、自分の好きなことを追求してみてください。
自分ができることをとにかくやってみてください。
僕も、これからも、自分のペースで、好きなことを追求して生きていきたいと思っています。

 

 

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