野蛮で高貴な教育者 ~コーチ・カーター~

「映画で教育を語る」の第4弾です。

2004年製作の「コーチ・カーター」は、荒廃した高校バスケットボール部の 実話を基にした スポーツ映画で、その「立て直し」と、部員達の「生まれ変わり」の過程を描いています。

私が知る限り、今後の日本の教育界に最も必要な映画の一つです。

この映画で語られている内容は、我々が「アメリカ的」だと思っている「自由で、緩くて、フレンドリー」な、アメリカ教育ではありません。

日本が追従している、そのような教育の結果が、現在の荒廃した教育現場です。

カーターは、現代の我々が「悪」だと思っている「規律」や「厳格さ」をもって、その荒廃に立ち向かいます。


カルフォルニア州のリッチモンド高校は、アメリカの「負」の部分を象徴するような、貧しく荒れた町にあります。

数字でその荒廃ぶりを示すと、アメリカの高校ランキングで10段階中最下位の1ランク。高校卒業率は50%。大学進学はクラスに1人。刑務所行きは、その何十倍か分かりません。

新任のバスケットボール部 コーチ(監督) カーターは、崩壊している現場の「立て直し」にかかります。

その手順は日本にも適用できますが、日本で流行の「コーチング」や最先端の「心理学」などを駆使したやり方ではありません。

暴力こそありませんが、現代の日本人が最も嫌う「野蛮」で「時代遅れ」で「非科学的」と言われている手法です。

今の日本の潮流とは「真逆」のやり方で、カーターは全米最低ランクの高校バスケ部を立て直し、生徒たちの魂を目覚めさせました。

アメリカでさえ「崩壊」から立て直すには、「自由」は役に立たず、「規律」が必要だったのです。

アメリカの後追いをしている我々は、いつまで「自由」ばかり追い続けるのでしょうか。


日本の教育に今、必要なのは「自由」ではなく「規律」です。

あらゆることが「自由」で「許される」ようになり、教育は崩れ出したのです。

崩れたものを立て直すには、「規律」しかありません。
「緩んだ」
手綱は「締め直す」のが、物の道理です。

しかし、この国の流れは、更に「緩める」方向にあります。
厳しく叱ってやらねば、救われない生徒は大勢いるというのに。


カーターの「厳格」なやり方は同僚や保護者から猛反発を食らい、学校裁判所のような場所で、吊し上げを食らいます。

カーターが憎んでいたのは、半分の生徒しか卒業できない「学校のシステム」でした。

犯罪者予備軍を育てているかのような、「自由の名の下」の放任主義でした。

「バスケの勝利が生徒の人生のハイライトだ」という親や教員の思い込みでした。

「このような流れを変えたくて、私はコーチを引き受けた。
それには今のようなやり方しかない!」

 

アメリカ好きの教育関係者の方には、「心理学」や「科学的」なものばかりでなく、「コーチカーター」のような野蛮で高貴な教育者の映画も、ぜひ観てほしいと思います。