「元気野菜づくり」から学ぶ子育て

こんにちは。Oishi塾の大石です。

今回は「野菜作りから学ぶ子育て」について、インタビュー形式でお伝えします(^^)/

Part2
Part3



「元気野菜づくり」超入門

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元気野菜と子育て!?

ーどうして、この本を紹介しようと思ったんですか?

野菜づくりの本ですけど、教育や子育てにも応用できるからです。

ー「野菜づくり」と「子育て」が関係あるんですか!?

大ありです!
今、大激変の時代なんで、「何が正しいのか」って、みんな分からなくなってるでしょ。

ー確かにいろんな人が、いろんな意見を言ってます。

こういう時代だから、時代が変わっても「変わらないもの」=「原理原則」が必要なんです。


快適すぎる環境だと、ひ弱になる!?

それで原理原則って「普遍」なので、教育でも農業でも人体のことでも、相通ずるってことです。

ーほー。具体的に、どんなことが「相通ずる」んですか?

例えば、元気野菜を作るには、土が一番大事です。
それで良い土っていうのは、微生物がうようよいる土です。

ーはい。聞いたことがあります。

その他にも紫外線や雨風、寒さ暑さが必要です。

ー・・・。

植物工場で作った野菜って、雨にも打たれず風にも吹かれず、暑さ寒さも経験することなく、綺麗に育てられますよね?

ーはい。

そういう野菜って、見た目が綺麗なだけで、生命力は弱いし、栄養価も落ちます。
今の子供も、そんな風に育ってるんじゃないですかね。


子供のハウス栽培

ー原理原則というのは・・・。

人体では、腸内細菌がうようよバランス良くいるのが元気な身体です。
教育的には、嫌なことがうようよある中で、それを乗り越えることで生命力のある人間が育ちます。

ー今は子供に「我慢させるのは良くない」「好きなことだけさせよう」という教育になりつつありますね。

子供のハウス栽培ですね。

ー確かに!

子供も若い人も「むちゃくちゃ弱くなってきてる」ってよく聞きますけど、農業的に言えば、自然の厳しさに耐えることなく育った野菜と一緒です。

ーなるほど。

だからハウスから出した途端、社会の厳しさに適応できないでしょ。厳しい社会が悪いんじゃなくて、子供を温室栽培して、「ひ弱」にしか育てられなかった親御さんや学校の責任です。
(続く)

 

ウワサの保護者会【 行き渋り】学校に行きたくない小学生

ウワサの保護者会【行き渋り編】の要約です。
たった3分でウワサの保護者会の要約した内容を知ることができます。
また専門家とは違う教育の現場目線での考えを知ることができるので、是非最後までご覧になってください。

ウワサの保護者会 ~学校に行き渋る小6息子~

NHKの「ウワサの保護者会」という番組の内容を基に書いています。
出演者は、司会、教育タレント、専門家、保護者。

番組のテーマは「学校の行き渋り」で、学校に行き渋る子供を持つ保護者が、教育タレントや専門家に助言を求めるという内容でした。

マスコミが時代の風潮を作りますが、その風潮に乗っかっている専門家の助言と、その風潮とは全く違う回答を載せます。


学校に行くか、行かないかで、毎朝バトルになる親子

<朝、リビングのソファに寝っ転がって支度をしない小6息子>

母:「そろそろ時間、限界かも」

父:「27分」
母:「朝ご飯食べる時間ないよ」
子:「行くー
母:「送ってはいけないからね」
子:「行くっつってんだろー!いい加減にしろよー!
母:「あっそっ」


司会:「これは手強いですね。強い言葉が返ってきますからねぇ?」
母: 「辛いです。何度も起こしに行って、朝から機嫌が悪くて、親子の仲が険悪になって。朝が来るのが嫌だなと思います」

<専門家の助言>

多くの子たちは学校に行き、みんなと遊びたいという意欲がある。
だけど何らかの理由でしんどくなって、行けてない子供たちを責めることで、「行けてない自分=ダメな自分」と自分の自信がだんだん無くなってしまう。
それが積み重なると、学校に行かなくなったり、日々の生活もできなくなる。


<息子へのインタビュー:なぜ学校に行きたくないのか?>

3年生くらいから、だんだん学校の授業がつまんなくなっちゃって。
学校に行くのが労力の無駄なんじゃないかって。
行きたくないというより、行く意味がわからない。
俺の気持ちとしては、遅刻とかしても俺の責任だから、ほっといてほしい感はあります。無理やりはやめてほしい。


<専門家の助言>

不登校や行き渋りの要因はいくつかあると言われている。
家族、学校、心の問題などが、絡み合って起こることもある。
学校に行けなくなりつつある子供のしんどさ、辛さに共感していく
作業が必要。


大石の回答:

学校に行く、行かないよりも、子供の態度がなっていません。

子供の教育の最終責任者は、親です。
その最終責任者である親が、子供に「うっせー、黙ってろー!」と言われて、それでいいのか?
「それでも親か?」と思います。

今の時代は、国が「子供には学校を休む権利がある」とまで言っているのですから、学校に行こうが休もうが「どうでもいい」と思います。

一昔前と違い、少々レールから外れようが「人間の基本」ができていれば、一人前の人間として社会で活躍できる時代です。

「人間の基本」ができていれば、ですが。

「どうでもよくない」のは、子供の他者への態度です。
映像で見る限り、この息子は人間ではなくヒトです。
オラウータンやゴリラと同列の「サル目ヒト科のヒト」で、洋服を着て喋る頭の良いチンパンジーと変わりません。

「ヒト」として生まれた子供を、しつけを通して「人間」に育てるのが教育です。

この息子の不幸は、親に「人間らしさ」や「人間の基本」を教えられなかったことでしょう。

この家族問題の根本は、行き渋りではなく、息子へのしつけ不足です。
最初の一歩は、暴力は必要ないですが、どんな手段を使ってでも親への暴言を止めさせることです。

そして学校に行こうが行くまいが、人間の行為として「ダメなことはダメ」だとハッキリと分からせることが始まりです。

 

【人間の教育】 ~教育崩壊時代の実践教育論~

4月26日に「人間の教育」が発売されます。

このホームページを読んで下さっている方には分かると思いますが、「時代の風潮」と真っ向から対立する本です (^^)/

「現代の風潮」と「人間の教育」を弁証法的に掛け合わせたら、次の時代の教育である「自律教育」へと向かえると思います。

自由と優しさ一辺倒の「甘やかし」を「甘やかし」とも思わない教育、「崩壊」を「崩壊」とも思わない教育現場は、もはやどうすることもできません。

躾が「悪」とされ、礼儀が「悪」とされ、親と子、先生と生徒の上下関係が「悪」とされ、子供の獣性を個性として認めることが「善」とされる狂った時代です。

この狂った時代に、たった一人で、「人間の教育」をするための考え方と方法論を書きました。


時代は「子供の自主性に任せることが良い教育だ」という風潮ですが、そのことは私も否定しません。

しかし「子供が他に頼らず、自分で考え行動すること」は、守破離で言えば、破や離に当たります。

本書は、その破や離の先に来なければならない「守」について書きました。

「アクティブラーニング」や「イエナプラン」といった方法論を支える「根」の部分について、人間の教育の「土台」について書きました。

オンデマンド方式という出版の性質上、値段が若干高めになっていますが、誰も書いていない内容で、「値段以上の価値」はあると思います! 

Amazonや全国の書店で注文して頂けます。
ISBN:978-4815026097



 

規律から、自由、そして自律へ

一つの時代が終焉を迎え、新しい時代が始まろうとしています。

このことは、多くの人が感じていることだと思いますが、教育も大きく変わろうとしています。


明治時代初期に

義務教育が始まって以来、「規律」が教育のキーワードでした。

生徒は規律ある行動を求められ、規律を乱す生徒は「悪」と見なされました。

「正解」は先生が知っていて、先生の言うことをよく聞く生徒が「良い生徒」であり「優等生」だったのです。

「自分の意見」を先生にぶつける生徒は、生意気だと言って殴られた時代もありました。


敗戦後は、

規律から「自由」へと、一気に舵は切られます。

「規律」が徐々に薄まり、「自由」が段々と濃くなっていったのが、私たちの学生時代でした。

しかし学校や家庭などの「文明社会」は、「規律」で成り立っています。

この「自由な教育」の行き着いた果てに、学級崩壊や家庭崩壊が待っていたのは、当然の結末でした。

私たちは、どこで間違えたのでしょうか?


自由ではなく、自律へ。

「規律」の時代の後、「自由」ではなく、「自律」へと私たちは向かうべきだったのでしょう。

「自由」と「自律」の意味の違いを理解することは、教育の「本質」に迫ることです。

「自由」
心のままに従うこと。

「自律」
①自分の行為を主体的に規制すること。
②他からの支配、制約を受けずに、自分で立てた規範に従って行動すること。


新しい時代の教育目標は、

「自由」な子供ではなく、「自律」的な人間を育てることになります。

自分の心のまま「何をしてもよい」という「自由」な教育は、教育現場の「崩壊」を招き失敗しました。

「自由」な教育は、失敗しました。

しかし、「規律」の教育をそのまま現代に復活させるのも、時代の流れに合っていません。

先人たちも「自律」教育を求め、「規律」や「自由」教育に苦悩し、その涙の結晶である膨大な「知恵」を遺してくれました。

その知恵と涙を受け継ぎ、掛け合わせ、いよいよ「自律」の教育を生み出す時が来たのです。