優しさを支えるもの ~遠い空の向こうに~

「映画で教育を語る」の第5弾です。

1999年製作の「遠い空の向こうに」は、「ロケットを打ち上げたい」という夢を抱いた、炭鉱の町に住む高校生たちの物語です。

その成功までの「失敗」「恥辱」「確執」「挫折」を描く「実話に基づいた」青春映画です。

原題は「October Sky」。

少年達の運命を決めた日、人類初の人工衛星「スプートニク」を見た「10月の空」から付けられています。

20代女性の「優しい」ライリー先生が、その「夢の実現」に大きな役割を担いますが、現代の日本の教育との「違い」を考える上で、とても興味深いです。


今回の主題は、「優しさを支えるもの」です。

ライリーは「現代的な良い先生」で「新世代」の象徴として登場します。

その特徴は「いつも笑顔で」「生徒想い」、そして「因習にとらわれない」ことです。

一方、主人公の父親や校長が「旧世代」の象徴であり、「厳しく」「融通のきかない」「時代遅れ」の悪役となっています。

この新世代と旧世代の「善」「悪」の構図は、現代社会そのままです。

そして、旧世代の象徴である「厳しさ」を時代遅れの「悪」と見なし、「優しさ」のみを「善」だとするのも、日本が歩んできた道と全く同じです。


現代の「良い先生」は、「自分を支えてくれるもの」を見ようとも、知ろうともしません。

「遠い空の向こうに」の舞台は、1950年代のウェストバージニア州の田舎町です。

そこには厳格で「絶対的な権威」を持った校長先生がおり、父親がいました。

教育現場が「厳しさ」で覆われている時代だったから、ライリーのような「優しい先生」が「良い先生」になり得たのです。

しかし、2020年の日本で、この女性教師の真似をしても「良い先生」にはなれません。

なぜなら、教育現場が「優しさ」に「まみれている」からです。


「優しさ」しかない場所では、「優しさ」はもはや「優しさ」ではありません。

「その他大勢」の先生が行う「当たり前」の「ありふれた行為」に過ぎません。

多くの「厳しい先生」や「厳しい親」がいたから、「優しい先生」にも価値があったのだと、我々は知る必要があります。

「優しさ」を支えるものは、「厳しさ」です。

現代流の「何でも許す良い先生」を支えているのは、嫌われ役を厭わない「悪人」になれる親や先生達です。

彼らが「教育の崩壊」をギリギリの所で支えています。

「優しさだけの先生」など、汚れ役を他人に任せ、自分は平気で「善人面」をしていられる卑怯者に過ぎません。

我々は、目を覚まさなければなりません。
「支えられるもの」ではなく、「支えるもの」になるのです。