「映画で教育を語る」の第6弾です。
2000年製作の「ショコラ」は、「伝統」が「ヒューマニズム」によって破壊されていく過程を描いたヒューマンドラマです。
現代の映画では当然のごとく、伝統を「破壊するもの=善」、「破壊を止めようとするもの=悪」という構図で描かれています。
我々教育関係者にとって、「リトマス紙」となる映画ではないでしょうか。
ショコラを観て「心温まる良い映画だ」などと言う人間は、時代に流される「根無し草」で「教育の破壊者」です。
ヒューマニズムがいかに社会に入り込み、人々の心を侵食してきたか。 そして、日本の教育が崩れた原因も、この映画から推察できます。
1959年、フランスの小さな村。
そこに流れ者の母娘が辿り着く。
親子はその地に、村人が今まで見たことのなかった「チョコレートショップ」を開く。
村の掟を無視する「自由」な母親。
村の秩序を守らねばならない村長。
甘いチョコレートに堕ちていく村人たち。
美しい母親は「古い因習に縛られていた村人」の「心を解き放った」善人として描かれます。 しかし、恐らく彼女は「悪魔の化身」です。
「ブスな悪魔は存在しない」と言われているように、母親は若く魅力的な外見をしています。
そして悪魔の餌である甘い物として、「優しさ」と「チョコレート」が用意されています。
一目見ただけで「悪」だと分かるようなマヌケな「悪魔」は存在しません。
必ず「善の仮面」を被って、「甘い餌」をぶら下げ、人々の弱みにつけこみ、餌に食らいつかせます。
厳しい掟の下に生きる村人にとって、甘い餌とは「自由」でした。
チョコレートは「自由」の象徴です。
母親に感化された村人たちは、「伝統に従わない自由」を手に入れ、堕落しました。
その堕落のことを、現代の我々は「古い因習からの解放」や「ヒューマニズム」と呼んでいますが、それが行き過ぎたのが「何でもありの自由」に歯止めのきかない現在の日本です。
我々は「悪を見分ける目」を持たなければなりません。
悪の教えとは、「先に行けば行くほど、苦しくなる教え」です。
正しい教えとは、「先に行けば行くほど、楽になる教え」です。
子どもを「甘やかす」のは、悪の教えです。
「子どもが嫌がるから、厳しいことは言わない」
「身体がきついと言っているので、休ませる」 。
「今」の楽や平和を選んで、子どもの躾を放棄してはいけません。
躾を放棄された子どもが、「将来」どんな苦労をするのかは、分かるはずです。
正しい教えは、「今、厳しい」が、後で楽になります。
悪の教えは、「今、優しい」が、後で苦しみます。
良薬は口に苦し。
悪魔が差し出す目先の「甘いチョコレート」に騙されてはいけません。