躾の大原則とは

「若い先生たちへ」「家庭の躾」の第10弾です。

前々回、前回と「大人社会と子供社会のギャップ(上)(下)」で、それらの社会に働く「原理の違い」について書きました。

「自分のやりたいことをやっていればいい」優しい「子供社会」に対して、「役目を果たす」ことを求められる厳しい「大人社会」という構図でした。

将来、子供が「一人前の社会人」として活躍できるような教育が「普通の教育」で、子供が大人社会に適応できない教育「反教育」だと、そろそろ私たちは気づかなければなりません。

その「反教育」の代表が、今、猛威を振るう「甘やかし」です。

「甘やかし」とは、厳しい「大人社会」の原理に子供を近づけようとせず、甘い「子供社会」のルールをいつまでも許すことです。

そういう「甘い親」「甘い先生」が、現代では「良い親」「良い先生」とされていますが、社会人になるまで「甘い子供社会のルール」で育てられた人間は、その後「厳しい大人社会」をどう生きていくでしょうか。


これまで何度も取り上げてきた、教育者 森信三が提唱した躾の三原則は次の通りです。

一 自分から挨拶をする
二 「はい」と返事をする
三 靴を脱ぐ時踵(かかと)を揃え、席を立つ時イスを入れる

その他にも、森は「朝、親に起こされずに、自分で起きる」ことも大切な躾だと考えていました。

また令和の女子の躾として、私は「自分のことを呼ぶ時、名前で呼ばず私と呼ぶ」も加えたいと思います。

他にも「躾」を細かく分類すれば何十~何百にもなりますが、何十~何百もある「躾」というのは、「実際的」ではありません。

今回は、それらの「躾」をすべて包括し、すべての土台となる最も重要な原則について書きます。

その最も重要な原則は、「大人社会」と「子供社会」を繋ぐとなるものでもあり、50年以上前までの日本では「常識」とされていました。


 


「やるべきこと」が先。「やりたいこと」は後。

 

これが子供の「躾」における最も重要な原則であり、すべての「躾」の原則は、この大原則が淵源となっています。

また、この大原則は、社会人としての原則でもあります。

「大人社会」の原理である「役目を果たす」とは、自分の「やりたいこと」よりも、「やるべきこと」を優先することです。

「大人社会」にそういう原理が働いている以上、その準備期間である「子供社会」も「やるべきことが先。やりたいことは後」に近づけ、そういう思考習慣を身につけさせた方が、子供は将来「楽」に生きられます。

要するに「甘やかし」とは、子供が「やること」もやらずに、「やりたいこと」だけやるのを「許す」ことです。

昔の「親の小言」を、令和の子供にも言ってやりましょう。

 

 

やることをやってから、
やりたいことをやれ!
と。