ほめると子どもはダメになる

新シリーズの「若い先生へ」の第1弾で、「ほめると子どもはダメになる」という本を紹介したいと思います。

やや過激に聞こえるタイトルは、猫も杓子も褒めて伸ばそうとする、「過激な」この時代へのアンチテーゼです。

2015年 新潮新書 榎本博明


かつての日本では、主として父親が父性を担い、母親が母性を担っていたが、現在は父母ともに母性的な甘さをもつようになってきた。

「ほめる指導」と「叱る指導」と、どちらが大事なのか?
「優しさ」と「厳しさ」では、どちらが大切か?

こんなことで悩む先生もいるようですが、答えは決まっています。
「両方大事」です。

一人の先生が「父性=厳しさ=叱ること」と「母性=優しさ=ゆるすこと」と、両方持たないといけません。

父性だけでは、「厳しいだけ」の先生となってしまいます。
また母性だけだと、「甘いだけ」の先生に陥ってしまいます。

そして現代は、「母性」が強く、「父性」の弱い先生(親)が圧倒的に多くなりました。

つまり「母性」は発揮しやすく、「父性」は発揮しにくい社会風潮だと言えます。

だからこそ、強い「父性」を発揮している少数の先生に価値があります。

もし「父性」「母性」という言葉を使って「良い先生(家庭)」というものを定義すれば、「父性」が強く、「母性」も強い先生(家庭)がそうだと言えます。


「ほめて育てる」が浸透してからほぼ20年が経過し、そうした空気のもとで育てられ、厳しさというものにまったく触れずに育った者が、今度は親となって子育てをする側に回り始めている。

今の20代の先生(親)たちには、ほとんど「叱られた経験がない」人も多いそうです。

充分な社会化をされないまま、社会に出てしまった人もたくさんいるでしょう。

先生(親)自身がそういう経験をしていないから、生徒(子ども)に「どのようにしたらよいか分からない」というわけです。

四書五経の四書の一つで、幾百人もの歴史的な偉人が座右の書としてきた「大学」には、それと全く同じ状況のことがこう書かれています。

 

心誠に之を求めば、中(あた)らずと雖(いえど)も遠からず

 


意味が分からなければ、自分で調べて下さい。


そんな若い先生たちは、どのような態度で、子供と向かい合うべきでしょうか。


それは、「覚悟を決める」ことだと思います。

20世紀最大の詩人の一人と言われるW・H・オーデンは、その詩「見る前に跳べ」でこう叫びました。

 

私は君を愛するが
だからこそ君は跳ばなければならない

 

叱るべきときに叱ることは、技術ではありません。
従って、そこには「上手い」も「下手」も存在しません。
やり方などは、どうでもよいのです。

大切なのは、覚悟です。
子どもの社会化を促すために、一歩も退かないという覚悟。

「こいつの将来のために、今、ここで言わねばならない」という覚悟です。

やり方は、後からついてきます。
腹を括り、跳ぶだけです。

その葛藤が「涙」であり、心を鬼にして叱ることが「愛」です。

いつも笑顔で、叱るべき場面でも決して叱れない先生(親)は、「愛」の対極にいる最も卑しい人間だと、私は思います。