叱る思想

新シリーズの「若い先生に向けた内容」の第2弾です。

前回「ほめると子どもはダメになる」という本を引用しながら「叱る」を主題として書きました。

今回は、その補足で「なぜ今、『叱る』を強調することが大切なのか」、その社会的な背景について書きました。

また、日本とアメリカの違いを踏まえた上で、「これからの日本の教育は何を灯にすべきなのか」を書きました。


現在は「行き過ぎた母性社会」であり、「父性の欠如」がさまざまな教育問題に根を張っています。

京都大学の名誉教授で、文化庁長官にも就任したユング学者の河合隼雄は、「母性社会 日本の病理」でこう述べています。

人間の心の中に父性と母性という対立原理が存在し、
わが国はむしろ母性優位の心性をもつ

母性優位である日本社会に、父性優位である欧米社会で「厳しさを中和する」ために生まれた「ほめて育てる」思想が流入してきました。

元々子どもに対し甘い社会に、さらに甘い思想が入ってきたのです。

その結果、日本は世界でも珍しい「行き過ぎた母性教育=とにかく褒める=何でもゆるす」が行われています。

河合隼雄は、父性と母性の特質をそれぞれ「切る」「包含する」力であると示した上で、母性の否定的な面をこう表現しています。


子どもをかかえこみすぎて、その自立を妨げる


周りを見渡すと、誰でも思い浮かぶ顔の一つや二つはあるのではないでしょうか。


また河合は、アメリカと日本が抱えている問題を比較して、こう述べています。

アメリカは今まであまりにも「切り捨ててきた母性」をいかに取り戻すかという点で、大きい問題をもっている

アメリカは「父性」が強く「母性」が弱い社会です。

日本では今まであまりにも「接触をもちつづけてきた母性」といかに分離するかの問題に悩んでいる

アメリカと日本では、社会的な背景が「あまりにも」違います。

つまり、これからの日本の教育を考える上で、「アメリカの猿真似をしては駄目だ」ということです。

「アメリカの猿真似」とは、アメリカから入ってきた「ほめる思想」を「嬉々として受け入れた」ことも当然含まれます。

アメリカの厳しい父性社会が「ほめる思想」を必要とした一方、日本の優しい母性社会に必要なのは「叱る思想」です。


その「叱る思想」を立てる際に参考にすべきは、欧米の教育者ではなく、日本の教育者ではないでしょうか。

江戸時代の医師であり学者であった貝原益軒は、日本初の教育論の本とされる「和俗童子訓」を書き遺しています。

和俗童子訓については、また機を見て取り上げたいと思いますが、その中で語られていることは、親が「愛に溺れること」を戒め、子どもの「我を抑えること」を基としています。

親や教師は「子どもをほめるべし」とは、一行も書かれていません。

反対に、子どものわがままな心を「厳しく戒めるべし」と何度も繰り返されています。

つまり、今の教育と逆なのです。

しかし、我々の祖父母の世代までは受け継がれてきた、これらの教育こそが、日本の長い歴史で育まれた「日本人を日本人たらしめた教育」なのだと思います。

我々は、我々の祖先たちが築き上げた「歴史」や「教育」を、もっと信じなければなりません。

そこには、先人の知恵と涙が詰まっています。

それらの古い時代の知恵と涙を温めて、我々は「新しい道」を知るのではないでしょうか。