躾は厳しく!~厳しさの誤解を解く~

家庭の躾」の第5弾で、教育における「厳しさの誤解を解く」が今回の主題です。

「厳しく躾ける」というと、現代では完全に悪のイメージしかありません。

しかし、それは「厳しさ」に対する誤解が大きいように思います。

教育における「厳しさ」とは、怒鳴ることや、体罰を与えることではありません。

現代の我々は「常識」を忘れてしまっていますが、日本では昔から「いい加減を許さないこと」が、子供の躾における「厳しさ」でした


前回、森信三の「躾の三原則」を紹介しました。

一 自分から挨拶をする
二 「はい」と返事をする
三 靴を脱ぐ時踵(かかと)を揃え、席を立つ時イスを入れる

厳しく躾けるとは、いい加減な挨拶、いい加減な返事、いい加減に靴を揃えることを許さないことです。

許さないとは、いい加減な行為を見逃さず、きちんとやり直しをさせることです。

できるまで、口を酸っぱくして言い続け、やり直しをさせ続けることが「厳しい躾」です。

「いい加減」が許される「優しい躾」など、やる意味すらありません。


学習院の名誉教授であり、初等科長(小学校長)を長年務めた川嶋優氏は、「日本人として大切にしたい品格の躾け」において、次のように述べています。



子供は母親の小言で育つ

 

現代の多くの家庭の教育方針は「自由にのびのび育てる」です。

その気持ちは分かりますが、子供に教えるべきことさえ教えず、子供の間違った言動さえ正せない、現在の状況は明らかに「自由」や「のびのび」の行き過ぎではないでしょうか。

川嶋氏は、「親の小言」について続けてこう述べています。

 

(小言は)必ず心に刷り込まれ、それが宝物となって、子供の成長を助ける

 


「躾」において、我々が工夫すべき点があるとすれば、どういう態度で「いい加減を許さないか」という一点です。

現代は叱ることを「悪」だと思っている人も多いですが、怒らず冷静な態度で「いい加減を許さない」ことだって当然できます。

テーブルのイスを出しっぱなしにする子供に対して、自分でイスを入れるのは「反教育」です。

必ず子供にイスを入れさせます。
面倒くさかろうが、それが躾です。

一度言ってできるような優れた子供などそういませんから、何度も何度も出しっぱなしにしたイスを子供に入れさせます。

その時に「何度言ったら分かるつかー!?ボケーッ」と子供を殴れば体罰になります。

殴らずに、子供が反射的にイスを入れられるまで、「はい」という返事ができるまで、自分から挨拶ができるまで、言い続けます。

これが躾であり、「ヒトを人にする」ための、親の「普通の」務めなのだと思います。

しつけの3原則

こんにちは。
唐津市和多田にあるOishi塾の大石です (^^)/

今回は「躾(しつけ)の3原則」について書きます。

ニュースでは事件となった「行き過ぎた躾」ばかり取り上げられるので、「躾」というと、今の時代では「悪いもの」のような印象さえあります。

しかし、いつの時代も「躾」こそが教育の本体でしたし、それはこれからも絶対に変わりません。

躾が「悪」だという風潮こそが、「教育崩壊」「家庭崩壊」の最大の原因なのだと思います。


明治以来、最大の教育者の一人といわれる森信三は、昭和40年頃に「家庭教育における『しつけの3原則』」を提唱しました。

その3原則とは、次の通りです。
1 自分から挨拶をする
2 「はい」と返事をする(頷くだけはダメ)
3 靴を脱ぐ時踵(かかと)を揃え、席を立つ時イスを入れる

学生時代が社会人として活躍する準備期間だとすれば、社会人として最低限のマナーであるこれら3つは厳しく(いい加減を許さず)身につけさせないといけません。

一昔前までは、それが親や先生の「愛情」だとされてきました。
愛情の薄い無責任な人間は「いい加減な躾しかできない」。


そして、教育の目的が「自立」だとすれば、その「種」を今のうちから蒔いておかなければなりません。

森信三は、上記の「しつけの3原則」に加え、次のことを推奨しています。

〇朝、親に起こされずに、自分で起きること
〇寝具の片づけ(ベッドの整え)を自分ですること

いい年をして、母親に起こしてもらわないと起きられない人間を「甘ったれ」と言い、親がその状況を許していることを「甘やかし」と言います。

子供が「自分で起きて立つ」という自立を妨げているのですから、「甘やかし」は反教育であり、子供の将来にとって「良いもの」なわけがありません。


私なりに「今の子供」という視点でもう一つ「躾」を加えたいと思います。

自分のことを呼ぶ時に「名前」で呼ばず「私」と呼ぶ

これは女子に対する躾ですが、自分を「名前」で呼んでいいのは、「幼稚園児や保育園児だけ」だというのが世の常識でした。

しかし今は世の中が狂っているので「唐津の女子中学生の8割以上」は自分のことを「名前」で呼びます。

その幼児性を何とも思わない、親や先生の精神性こそが「教育問題の一番の核心」なのかもしれません。