自由自在に使いこなす日

6月号の塾通信(1枚目のみ)の内容です。

保護者の方は、配られた「紙の通信(3枚)」もご覧ください (^^)/


前回の塾通信で、「挨拶」と「返事」の基本原則を伝えました。

その内、「挨拶」については、多くの生徒が「気持ちの良い」挨拶をできるようになりました。

「挨拶」ひとつ変わるだけで、その生徒に対する印象はガラリと変わります。

考えてみると、その日「最初」と「最後」に交わす言葉が「挨拶」です。

「最初」の印象が良ければ、その日その人には「清々しい気持ち」で接しますし、「最後」の印象が良ければ、その人が去った後「さわやかな風」が残ります。


一方で「いい加減な挨拶」をする生徒は、他人を不愉快な気持ちにさせます。

僅か数秒で終わる挨拶です。

その数秒だけは、(基本原則に従った)きちんとした挨拶をしましょう。


さて前回伝えた「挨拶の基本原則」は、塾だけではなく、アルバイト先でも、就職先でも変わらず使えます。

それは「返事」など、他のものもすべてそうです。

その「基本原則」に従えば、人間関係の基本であり中心である「礼儀」に関しては、誰からも100点満点を貰える基準です。

学校のテストで「100点」を取っても、社会に出て、直接役立つことはまずありません。

しかし「礼儀100点」は、様々な人達と「気持ちの良い人間関係」を作るのに一番貢献してくれます。

一生死ぬまで自分たちを守ってくれる「礼儀正しさ」を、卒業までに身につけましょう。


この先、「そこまで礼儀正しさを求められない」環境もあります。

その時は、「その環境に合わせたレベル」の礼儀正しさに調節しましょう。

みなさんは、塾で教えられる最も厳しい基準の「礼儀正しさ」の習慣を身につけます。

そして将来、それを場面に応じて、自由自在に使いこなすのです。

 

優しさを支えるもの ~遠い空の向こうに~

「映画で教育を語る」の第5弾です。

1999年製作の「遠い空の向こうに」は、「ロケットを打ち上げたい」という夢を抱いた、炭鉱の町に住む高校生たちの物語です。

その成功までの「失敗」「恥辱」「確執」「挫折」を描く「実話に基づいた」青春映画です。

原題は「October Sky」。

少年達の運命を決めた日、人類初の人工衛星「スプートニク」を見た「10月の空」から付けられています。

20代女性の「優しい」ライリー先生が、その「夢の実現」に大きな役割を担いますが、現代の日本の教育との「違い」を考える上で、とても興味深いです。


今回の主題は、「優しさを支えるもの」です。

ライリーは「現代的な良い先生」で「新世代」の象徴として登場します。

その特徴は「いつも笑顔で」「生徒想い」、そして「因習にとらわれない」ことです。

一方、主人公の父親や校長が「旧世代」の象徴であり、「厳しく」「融通のきかない」「時代遅れ」の悪役となっています。

この新世代と旧世代の「善」「悪」の構図は、現代社会そのままです。

そして、旧世代の象徴である「厳しさ」を時代遅れの「悪」と見なし、「優しさ」のみを「善」だとするのも、日本が歩んできた道と全く同じです。


現代の「良い先生」は、「自分を支えてくれるもの」を見ようとも、知ろうともしません。

「遠い空の向こうに」の舞台は、1950年代のウェストバージニア州の田舎町です。

そこには厳格で「絶対的な権威」を持った校長先生がおり、父親がいました。

教育現場が「厳しさ」で覆われている時代だったから、ライリーのような「優しい先生」が「良い先生」になり得たのです。

しかし、2020年の日本で、この女性教師の真似をしても「良い先生」にはなれません。

なぜなら、教育現場が「優しさ」に「まみれている」からです。


「優しさ」しかない場所では、「優しさ」はもはや「優しさ」ではありません。

「その他大勢」の先生が行う「当たり前」の「ありふれた行為」に過ぎません。

多くの「厳しい先生」や「厳しい親」がいたから、「優しい先生」にも価値があったのだと、我々は知る必要があります。

「優しさ」を支えるものは、「厳しさ」です。

現代流の「何でも許す良い先生」を支えているのは、嫌われ役を厭わない「悪人」になれる親や先生達です。

彼らが「教育の崩壊」をギリギリの所で支えています。

「優しさだけの先生」など、汚れ役を他人に任せ、自分は平気で「善人面」をしていられる卑怯者に過ぎません。

我々は、目を覚まさなければなりません。
「支えられるもの」ではなく、「支えるもの」になるのです。