小学生の子供に勉強する習慣をつけさせたい

質問:
小学生の子供に「勉強する習慣」をつけさせたいと思います。

回答:
「自分のやるべきこと」を「先にする」行動習慣を身につけさせることです。

「やりたいこと」と「やるべきこと」が両方ある時は、常に「やるべきこと」を先にします。

(✘の例)ゲーム⇒宿題
(〇の例)宿題⇒ゲーム

それを繰り返すうちに、「やるべきことが先」が子供の中で「決まり」となり、その決まりを自ずから守る人間になっていきます。

尚且つ、勉強する時に「腰骨を立てた姿勢」が習慣化すれば最強です。
【参考記事】腰骨を立てる

一生「勉強が嫌だ」とは言わなくなると思います。


今の社会風潮だと「子供の興味のあることだけさせていればいい」という考えが「常識」になりつつありますが、そうやって育てられた子供が「どうなったか」まで見ないといけません。

【参考記事】子供が全然勉強しません

そうならないように、「自分のやるべきことを先にする」習慣を小さい頃からつけさせるのが親の務めです。

そうすれば、勉強でも何でも「自分のやるべきこと」は「やって当たり前」の人間に育ちます。

 

しつけをすると、指示待ち人間になるのでは?

「教育相談Q&A」の第10弾です!

質問:
しつけをすると「指示待ち人間」になるのではないでしょうか?
私自身、ついつい子供のやることに口を出してしまうのですが、そうなると「言われないとやらない子」に育っている気がしています。

回答:
全くの逆で、「指示待ち人間」にならないようにするのが、正しいしつけです。

「しつけの大切さ」は理解されているでしょうから、後はやり方の問題です。

しつけの基本は、「未来形で伝える」ことです。
、子供がやっていることを「ダメだ」「~しなさい」と命令形で伝えるのは、あまり良い形だとは思いません。

例えば、夕食前のテーブルの準備が子供の役目だとします。
テーブルを綺麗に拭いて、料理を運ぶ。

料理ができたのに、一向に準備をしない子供。
「何してるの?料理できたから早く手伝いなさい」「次はそれ持って行って」という伝え方では、質問の通り「指示待ち人間」を育てることになるでしょう。

「未来形で伝える」とは、事前に指示をしておくことです。
夕食時には「何も言われなくても」テーブルの準備をするのが子供の役目である、と伝えておきます。

「何も言われなくても」です。

それでも自ら動けない子供には、料理が出来上がる前に、次のように質問します。
「そろそろ料理ができるけど、その前に何をしないといけないんだっけ?」

まともな子供であれば、これで大丈夫です。

後は、指示なしで自ら動けるようになるまで、「夕食時には何をするんだったけ?」という質問を毎日投げかけます。

夕食の準備に関わらず、自ら動く子供に育てるための伝え方は、
① ~の時は、~するように。(指示をする)
② ~の時は、どうするんだっけ?(質問して思い出させる)
が基本の型です。

文章が頭に入らない方は、こちらの動画をご覧ください (^^)
育ちの良い子、悪い子、普通の子【食器の片付け編】

 

ウワサの保護者会 ~学校に行き渋る小6息子~

NHKの「ウワサの保護者会」という番組の内容を基に書いています。
出演者は、司会、教育タレント、専門家、保護者。

番組のテーマは「学校の行き渋り」で、学校に行き渋る子供を持つ保護者が、教育タレントや専門家に助言を求めるという内容でした。

マスコミが時代の風潮を作りますが、その風潮に乗っかっている専門家の助言と、その風潮とは全く違う回答を載せます。


学校に行くか、行かないかで、毎朝バトルになる親子

<朝、リビングのソファに寝っ転がって支度をしない小6息子>

母:「そろそろ時間、限界かも」

父:「27分」
母:「朝ご飯食べる時間ないよ」
子:「行くー
母:「送ってはいけないからね」
子:「行くっつってんだろー!いい加減にしろよー!
母:「あっそっ」


司会:「これは手強いですね。強い言葉が返ってきますからねぇ?」
母: 「辛いです。何度も起こしに行って、朝から機嫌が悪くて、親子の仲が険悪になって。朝が来るのが嫌だなと思います」

<専門家の助言>

多くの子たちは学校に行き、みんなと遊びたいという意欲がある。
だけど何らかの理由でしんどくなって、行けてない子供たちを責めることで、「行けてない自分=ダメな自分」と自分の自信がだんだん無くなってしまう。
それが積み重なると、学校に行かなくなったり、日々の生活もできなくなる。


<息子へのインタビュー:なぜ学校に行きたくないのか?>

3年生くらいから、だんだん学校の授業がつまんなくなっちゃって。
学校に行くのが労力の無駄なんじゃないかって。
行きたくないというより、行く意味がわからない。
俺の気持ちとしては、遅刻とかしても俺の責任だから、ほっといてほしい感はあります。無理やりはやめてほしい。


<専門家の助言>

不登校や行き渋りの要因はいくつかあると言われている。
家族、学校、心の問題などが、絡み合って起こることもある。
学校に行けなくなりつつある子供のしんどさ、辛さに共感していく
作業が必要。


大石の回答:

学校に行く、行かないよりも、子供の態度がなっていません。

子供の教育の最終責任者は、親です。
その最終責任者である親が、子供に「うっせー、黙ってろー!」と言われて、それでいいのか?
「それでも親か?」と思います。

今の時代は、国が「子供には学校を休む権利がある」とまで言っているのですから、学校に行こうが休もうが「どうでもいい」と思います。

一昔前と違い、少々レールから外れようが「人間の基本」ができていれば、一人前の人間として社会で活躍できる時代です。

「人間の基本」ができていれば、ですが。

「どうでもよくない」のは、子供の他者への態度です。
映像で見る限り、この息子は人間ではなくヒトです。
オラウータンやゴリラと同列の「サル目ヒト科のヒト」で、洋服を着て喋る頭の良いチンパンジーと変わりません。

「ヒト」として生まれた子供を、しつけを通して「人間」に育てるのが教育です。

この息子の不幸は、親に「人間らしさ」や「人間の基本」を教えられなかったことでしょう。

この家族問題の根本は、行き渋りではなく、息子へのしつけ不足です。
最初の一歩は、暴力は必要ないですが、どんな手段を使ってでも親への暴言を止めさせることです。

そして学校に行こうが行くまいが、人間の行為として「ダメなことはダメ」だとハッキリと分からせることが始まりです。

 

子供と親は対等ですか?

質問:
子供と親は対等ですか?
大人は子供より先に生まれただけで、偉いとは限りませんよね?

回答:
「人間として」は対等ですが、「親子の立場」は対等ではありません。

今多くの人が誤解していますが、「人間として」子供を見下したりせずに「対等」に接するのが大切ということで、「立場」は「親が上、子供が下」に決まっています。

この区別がつかないと、子供に何も大切なことを「教えられない」「身につけさせられない」、ただの【対等な大人】になってしまいます。


会社という組織には「課長」や「新入社員」という立場があるように、家庭という組織にも「親」「子」などの立場があります。

その立場の違いは、要するに「役目が違う」ということです。

親の役目を、子供が代わりにすることはできません。
子供は親の代わりに働きに行きませんし、親を出産したり、親を育てたりできません(笑)

親が子を産み、親が子を一人前に育てます。
子は親に社会性を教えられ、時に叱られ、一人前に「育てられる立場」です。

その役目の違いに「優劣」はないですが、立場としての「上下」はあります。役目を果たすための上下関係です。


「立場」とは「責任」のことなので、自分の立場に無自覚な親子ほど、それぞれの責任を果たしにくくなります。

悪い意味で「対等な親子」は一見仲が良さそうに見えても、子供の間違った言動を、親は正しません。

頑張って正そうとしても、対等な親の言うことなど子供は聞きません

私の印象では、「生活習慣」や「社会習慣(常識)」がきちんと身についていない子供の家庭に、悪い意味で「対等な親子」が多いように思います。

「平等」や「子供の尊重」「友達親子が幸せ」といった時代の風潮に惑わされずに、「こう育てたらこうなる」という「現実」を、私たちはもっと知るべきだと思います。

基本的な質問ですが、甘やかしって何ですか?

質問:
基本的な質問ですが、甘やかしって何ですか?

回答
幼児期より上の子供にも、「子供中心主義」で育てることです。

「子供中心主義」とは、子育ての正しさの基準が親や先生ではなく、子供にあるという考えです。

今の時代は「絶対者である子供に親は寄り添う(合わせる)のが正しい」という風潮になっています。

確かに乳児期の赤ちゃんに「子供中心」「子供優先」で育てても、甘やかしとは言いません。
なぜなら乳児期の子供にとって、それが「必要なこと」だからです。

しかし児童期の子供に「子供中心」「子供優先」で育てると、「甘やかし」となります。

なぜなら、「何でも子供の代わりにやってあげる」「いつも子供の言うことを聞いてあげる」必要性のある時期は過ぎたからです。

児童期の子供に必要な関わり方は、甘やかしではなく、自立させることです。

親御さんが子供の身の回りの世話をするのではなく、自分のことは自分でできるように、子供にやり方を教える時期です。

また良い生活習慣社会常識を身につけさせるのも、この時期の親の最も大切な役目です

最近増えてきた親御さんの特徴

子供の「自主性」に任せて何も教えない親御さんが増えてきたので、社会常識のある人間からすれば、不快な言動をとる子供が増えています。

また何でも子供の気持ちに寄り添うことで、子供が「好き嫌いの感情」でしか動けない人間に育っています。

つまり乳児期では良いとされる「甘やかし」も、児童期になって続けたら、子供をダメにしたり、周囲の人を不愉快にする「悪いもの」となってしまいます。

ここが子育ての最も難しいところですが

子供に何も教えず子供に尽くす親御さんは、乳児期までは良くても、幼児期~児童期からは「ダメ親」となります。

時代の風潮は「放任するのが良い親」ですし、子供も「今、自由で楽にさせてくれる親」の方がいいので、時代や子供に合わせたら間違います。

児童期の親の優しさとは、子離れをし、子供の将来のために自立させることなのです。