ひ弱な子供は食生活から

こんにちは。Oishi塾の大石です (^^)/

今回は「野菜作りから学ぶ子育て Part3」で、インタビュー形式になっています。

Part1
Part2



本の引用をします。

最近の子供たちは精神力が弱く、我慢する力がなくなっている。
心がやせ衰えている、その原因の大半は食にある。

今は子供の好きな物だけ食べさせて、「嫌い物は食べなくていい」という育て方が多いみたいですね。

ー知り合いの子供がまさにそんな感じです!
家で好きにさせて、給食で栄養を取らせている感じです。

私の知り合いで八百屋や新聞配達のおっちゃんとか、寿司屋の大将とか、80才くらいの人が結構いるんですよ。

ーはい。

全員が口を揃えて言うのは、「今の親は無責任ばい」「放任しよるもんね」です(笑)


現代型栄養失調。カロリーが十分足りていても、ビタミン・ミネラルなど微量な栄養素が欠けている。

今の時代って「心の教育」もダメですけど、身体の基になる「食の教育」もひどいと思います。

いろんな人が言ってますが、子供の悪い食生活が、心にも大ダメージを与えていますよね。

ー精神的にひ弱な子供が「食生活」から作られている・・・。

「ご飯よりもカップラーメンやお菓子がいい」って、子供は言うじゃないですか?

それをそのまま受け入れて。
そしたら子供の身体って、カップラーメンやお菓子でできるんですよ!

ー(笑)

健全な身体に「健全な精神」が宿り、不健全な身体には「不健全な精神」が宿ります!
今、そういう不健全な子供って多いでしょ。

ー本当に・・・そうかもしれませんね。


今の人は昔に比べて、ビタミンやミネラルを1/10もとれていない。

それと子供って、好き嫌いを言うでしょ?
これ前回のストレスの話と同じで、嫌いな物も食べて消化させないとダメです。

ー嫌なことやストレスの「免疫」の話ですか。

「嫌な物は無理して食べなくていい」「嫌なことはしなくていい」。
そうやって好きな物だけ食べて、好きなことだけやって育った子供が、学校や社会で「嫌なこと」に直面したらどうなりますか?

ー逃げると思います(笑)

今の風潮だったら、そういう子は「無理しなくて休んでいい」って言われるんですよ。
病院に行ったら、すぐ病名も何かつきますし。

ただ、子供をそうさせてしまった原因は「親御さんの育て方だぞ」ってことです。

ー・・・。

子供を好き勝手させておいてダメになったら、好き勝手にさせておいた「保護者」の責任でしょ?

ー特に、優しいお母さんが要注意なんですね。

親って「立場」とか、親っていう「役目」のことなんですよ。
「上司」と一緒で、いい人なだけじゃ、その役目を果たせません。

ーいろいろと辛口のお話ありがとうございました(笑)

他に誰もこういうことを言わないから、言ってるだけです!
好きで「嫌な話」ばっかりしてるわけじゃないですよ(笑)

 

保護するほど子供は弱くなる

こんにちは。Oishi塾の大石です (^^)/

今回は「野菜作りから学ぶ子育て Part2」で、インタビュー形式になっています。

Part1
Part3


本の引用をしながら話を進めます。

雨、風、霜、紫外線は、野菜にとってたんなる悪者なのでしょうか。
保護すればするほど、野菜は元気に育たなくなる。

こういうのを「教育的」に読んだら面白いと思います。

ーこれは・・・子供に何かあったら「すぐ助け舟を出す」親御さんへの比喩ですか。

そういう親御さんは、いい人が多いんですよ。
優しくて。
今だけ」を見たらですね。
ただ、こういう優しさが「姑息(こそく)の愛」といって、「子供のためにならん!」と昔は戒められていました。

ー「姑息の愛」ですか。

この言葉って、いろんな教育書や育児書に出てきますよ。
続けて引用します。


同じ種類の野菜が同じストレスにさらされた時、乗り越えられるものもあれば、弱ってしまうものもあります。この差は土。

学校も社会もストレスがあって当たり前でしょ?
そのストレスを「乗り越えられる人間」に育てるのが、まともな教育です。

ー今はストレスがあったら「休んでいい」「逃げていい」「親が代わりにやってあげる」という風潮ですね。

精神的にひ弱な子供を、「少しでも強く育てる」のが子育てですけど、ちょっと今は時代が悪すぎると思います。


土壌消毒を続けた畑は、「問題にならない程度」の微量の病害虫が侵入しただけで、逆に壊滅的被害を受けるようになります。

この畑みたいな状態の子供が、今多いんじゃないですか?

ーあぁ・・・。多くなっていると思います。

優しい親御さんが、子供の小さい頃から、ストレスのかからないように大切に育てますよね。

ーはい。

子供に侵入してくる菌を全部消毒して。
でも学校で起こることまで全部消毒しきれないから、そこで子供はやられるんでしょうね。

ーストレスに対する免疫がついてなかった・・・。

人体でも免疫をつける時は、病原菌をワクチンとして注射するでしょ?
あれで免疫を作って、重症化しないようにしてるわけじゃないですか?

ーはい。

身体のワクチンは子供が泣こうが打たせるくせに、心のワクチンには皆さん無関心ですよね?

 

空から見てる

みなさん、こんにちは! 

唐津市和多田の「勉強嫌い」「勉強が苦手」な小・中学生のための「個別指導」「少人数指導」 Oishi塾の大石です ヽ(^。^)ノ


天の川 相向き立ちて わが恋ひし
君来ますなり 紐解き設けな  山上憶良

天の川に向かい合って立っている。
恋しい君が来そうだ。
紐を解いて用意しておこう。


一年に一度、七月七日にしか会えぬ彦星と織姫ですが、その願いが叶わず、九州では大雨特別警報が発令されました。


七夕とは全く関係ありませんが、最近「躾」について、よく考えます。

現代は「礼儀の躾」もほとんどされていませんが、「心構え」を教えることもなくなりました。

「世の中は自分の思い通りにはなってくれない」

これ
を子どものうちに体得させることが、躾の基本ではなかったでしょうか。

つまり、子どもの願いを何でも聞き入れる親は「ダメ親」で、
「ダメなことはダメだ」と言える親が「普通の躾をしている親」ということです。

先生も同じで、生徒のわがままを許さず叱る先生が、「普通の指導をしている先生」です。

天の神さまや星でさえ、願いが叶わぬことがあるのですから、我々人間もその「宇宙の法則」に従わねばなりません。


さて、去年は知り合いに「七夕用の竹」をもらいましたが、今年はそう都合良く「竹」をくれる人が現れませんでした(笑)


「数学のテストで95点取れますように」

おい、なぜ100点と書かなかった?(^^)

 


「イツメンで良い思い出 いっぱい作れますように」

いっぱい作りましょう。

 


「あと15cm 身長が伸びますように」

具体的で切実な思いを感じます (^^)

 


「県大会で優勝し ソフト部全員が笑顔で終われますように」

全力を出し切って、笑顔で終わりましょう。


「親に恩返しがしたい」

学生なので、勉強を当たり前にしましょう (^O^)

 


「コロナがなくなりますように」

自分以外のことを「願い」に書けるなんて大人です!

 


「すべてうまくいきますように」

なんだ!この願いは!
この不心得者!! (^^)/


私たちが子どもの頃歌っていた「たなばたさま」の2番の歌詞を覚えていますか?

私は1番は口ずさめましたが、2番はすっかり忘れていました。

五色の短冊
私が書いた
お星さま きらきら
空から見てる

 

「自由」と「自分勝手」の違い

家庭の躾」の第1弾で、「挨拶」と「礼儀」についてです。

生徒に渡した塾通信には、それぞれの「原則」と「手順」を詳しく説明していますが、ここでは部分のみ掲載します。

保護者の方も、「紙の塾通信」の方に、目を通しておいてください!


今回の内容は、生徒が教室で弁(わきま)えるべき「礼儀」や「挨拶」についてです。

これは本来 塾の仕事ではなく、小学生までに家庭や学校で「躾」として、子どもに身につけさせておくべき事柄です。

しかし時代の変化によって、塾もその役割を「担わなければならない」ようになってきました。


世の中には「自由にして良いこと」「自由に振る舞っては駄目なこと」があります。

それが「自由」と「自分勝手」の違いで、その「違いを体得させる」ことが「躾」の根本でした。

また、「自由に振る舞っては駄目なこと」は、「自分の立場にふさわしい言動」をとることが求められます。

その中心にあるのが「礼儀作法」です。


江戸時代の日本では、寺子屋教育で「実学」が重んじられていたことが、よく知られています。

実学とは、実生活に役立つ教育のことです。

その実学を重んじる寺子屋教育で「読み」「書き」「そろばん」以上に大切にされたのが、「礼儀作法」を中心とする「躾」でした。

なぜでしょうか?


「挨拶」や「礼儀」は、人間関係を「円滑」にするために受け継がれてきた、「先人の知恵」です。

算数の基礎が九九の暗唱であるように、人間関係の基礎が「正しい礼儀を身につける」ことだと考えられてきました。

だからこそ、昔の親や寺子屋の師匠は、「将来子どもが困らないように」と、厳しく「礼儀作法」を教え込んだのです。

「挨拶」や「礼儀」を正しく行うことで、人間関係の摩擦が減り、ストレスを減らします。余計な誤解を防ぎます。

自分の経験で言えば「きちんとした挨拶のできない生徒」「礼儀のなっていない生徒」は可愛くありません

部下や後輩も、同様です。

逆に、「礼儀正しい生徒」は性格に関係なく、全員可愛いです


この塾通信では、「目下」は「目上」に「どう振る舞うべきか」ということが書かれています。

自分勝手が許されない「礼儀」や「挨拶」について、その手順を詳しく説明します。

今回は、「挨拶」と「返事」についてです。
まずは、これらを身につけましょう。

 

善人が子どもに悪を為す

若い先生に向けた内容の第4弾です。

今年の高校入試が終わりましたが、受験では、「合格者」と「不合格者」が出ます。

その不合格者に対して、私たちは「愛情」を持った「教育的」な関わり方をしているでしょうか。

今回は合格発表後の「不合格者への関わり方」をテーマに、現代の教育の問題点を考えたいと思います。


現代の風潮は、私たちに次のことを要求します。

私たちは、不合格だった子どもの気持ちを慮り、頑張ったことを労(ねぎら)わないと「いけない」

傷ついている子どもの心を察して、その傷口が広がらないように、できるだけ優しく接しないと「いけない」

「いけない」と2度繰り返しましたが、文字通り、時代の空気は「MUST=そうしないといけない」です。

その空気に従順なのが「善人」であり、現代流の「良い親」「良い先生」です。
そして、そういった善人たちが、子どもに「悪」を為します。

もちろん、本人たちにそんな「つもり」は毛頭ないでしょうが、結果的には、子どもの体内に蓄積する「甘い毒」となります。


多くの生徒が合格した中で、不合格だったということは、その生徒自身が「甘ったれ」だったのです。

不合格の原因は、「能力の不足」ではありません。
「能力の不足」なら、最初の志望校選びが間違っていたことになります。

そうでは、ないのです。

不合格だった生徒は、合格した生徒よりも、何か足りないものがあり、それを補う努力が欠けていたのです。

つまり「やるべきこと」をやっておらず、「合格するための必死さ」に欠けていたということです。

要するに、その生徒は望みだけが高く、自分に厳しくできない「甘ったれ」だったのです。


挫折こそ、成長の最大の好機です。

私たちの務めは、受験に失敗した子どもに「甘くて弱い自分」を「直視」させることです。

泣こうが、傷つこうが、その情けない姿が「裸の自分自身」です。
見たくないものを、直視させるのです。

彼らに必要なのは、優しい慰めの言葉ではなく、「現実と真正面から向き合わせる」厳しい愛の言葉です。

その厳しさこそが、「教育」ではないでしょうか。


今こんなことを書けば、悪人です。
だから、他者の評価を気にする「善人」には、口が裂けても言えません。

しかし、私もすべての生徒に、これらのことを言えるわけではありません。
愛していない生徒には、言えません。

厳しいことを伝えるには、膨大なエネルギーを必要とします。
甘い言葉の何十倍ものエネルギーが要るのです。

その「面倒なこと」を乗り越える力が愛情ですが、「そこまで言わなくていいか」という悪魔の囁き負けることがあります。


そんな私が「真実だ」と100%確信していることがあります。

我々が「愛」だと思っている「厳しさのない優しさ」は、悪魔が吐き出す甘い毒です。

その毒を吸い過ぎた子どもは、一生甘ったれから抜け出すことはできません。

子どもを「弱い甘ったれ」のままにしておく「現代の教育の正体」に、そろそろ私たちも気づくべきではないでしょうか。